クレイ・トムソン物語

 クレイはB. J. パーマーを何回となく矯正したが、いつもB. J. パーマーは「クレイ、ちょっとここが違うんじゃないか、クレイここのところが正しくない・・etc」など難癖を付けて、B. J. パーマーが一番ということを強調した。

後にクレイは「B. J. は私が、No. 2であることを示したかったのかもしれない。B. J. がNo1. であり私はその次のNo. 2であることを。」と話していた。

 B. J. パーマーはクレイが新しく作ったヘッドピースに横になりクレイにアジャストするように言った。

クレイはB. J. を横向きに寝かせ素早くターグルリコイルを行った。するとB. J. は「クレイ、これは私が受けたアジャストの中で最高の物だ。私はこのようにアジャストによって最高の気分になったことは今までなかった。このテーブルが欲しい、このテーブルを学園祭の前に作ってくれ。」と言った。

 B. J. は欲しい物があるとすぐに欲しいという癖があった。学園祭まで後一週間しかなかったが、クレイは作り上げて、学園祭に全米から集まったカイロプラクターに賞賛された。

 1940年代のパーマースクールは資金不足に悩まされていたので、クレイはこのテーブルのパテントをパーマースクールへ贈与した。このことによりパーマースクールは資金不足から開放された。

B. J. パーマーは、クレイの作ったヘッドピースを全身のアジャストに使えるように応用してみたらどうだ、とクレイに言ったので彼は驚いてしまった。なぜならB. J. パーマーはアトラス、アキシャス以外のサブラクセィションを信じていなかったからである。

B. J. パーマーはクレイにこう言った。

「時にはアトラス、アキシャス以外の所を矯正しなければいけない時があるかもしれない。」

 このB. J. パーマーの一言で、クレイはトムソン・ターミナルポイントテーブルを作ることになる。1958年頃のことであった。

やはりB. J. パーマーは学園祭に間に合わして欲しいと言ったが、今回は学園祭まで時間があったので、デブンポートの西にある工場で様々なテストをしながら、何ヶ月かけて作り上げることが出来た。

 学園祭でクレイは、B. J. パーマーの治療方針が変わったと多くのカイロプラクターから言われるのではないかと心配したが、B. J. パーマーは基本の上部頚椎メィジャーは全く変えなかった。

この時発売されたトムソン・ターミナルポイントテーブルの1号機は、現在サラソタのB. J. 博物館に保存されている。

 B. J. パーマーは偉大なカイロプラクターであった。彼は常にカイロプラクティックの科学を求めて、より正確なデーターをもとにしてカイロプラクティックを発展させてきた。

B. J. パーマーはクレイの機械工学の能力を高く評価していた。

 ある都市の学園祭が近づくと、B. J. パーマーはクレイを呼び、彼に脊柱をNCM(ニューロカロメーター)で仙骨から後頭骨まで測定するときの速度が人によって違うので、正確な情報が得られないので一定の速度で測定できるようにして欲しいと言った。

クレイは早速、デブンポートの西にある工場で研究した。そしてモーターを取り付けることによって一定の速度で、誰にでも同じように測定できる器具を発明した。

 このような発明のパテントを全て、クレイはパーマースクールに渡した。そのためパーマースクールは常に資金に困ることはなかった。B. J. パーマーのクレイに対する信頼は絶大であった。

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