クレイ・トムソン物語
やがて、クレイが少年時代を過ごしたキースバーグともお別れするときがやってきた。大学でバイオリンを勉強するためにシカゴに行くことになったからだ。
しかし、人口2500人以上の町に住んだこと無く、いつも川があるところで生活していたクレイは、シカゴのような大都会にはなじめずに2〜3回ホームシックにかかり、泣いて過ごしたこともあった。
キースバーグ時代にアルバイトをしていた薬局の店主が、友人のシカゴで薬局を経営しているフレッド・レイモンドを紹介してくれたので、クレイはそこでアルバイトをすることになった。大学生活と、夕方6時から夜中の12時までのアルバイトを週に7日間こなした。
シカゴで1〜2年勉強すると、1929年の世界大恐慌となり全米で金持ち達がビルの窓から飛び降りたりなどの悲惨な状態を目にする事になった。
このような状態の中で勉強を続けることが出来なくなったクレイは、退学して故郷のキースバーグに帰ってきた。クレイが21才の時である。
故郷に帰ったクレイは、以前に父親が勤めていたマッキーボタン社に就職したが、まもなくその会社も倒産してしまった。
その後マッキーボタン社の紹介で、アイオワ州のマスカティンにあるボタンの会社に就職することとなった。ここでクレイは、後に婦人となるペギーと出会うことになる。
マスカティンで行われたダンスパーティーで、クレイはペギーに一目惚れしてしまう。
その後、友人を介して二人は付き合うこととなり1年後に結婚する。
ペギーもクレイと同じボタン会社で働いていたが彼女の収入は1週間で7ドル、クレイの収入が週に8〜10ドルであった。世界大恐慌のため銀行も商店も閉めたままで、物を買うことすら出来ないほどひどい時代であった。クレイは少しでも生活を楽にするために農家に住み、ブラックベリーを作って売ることにした。
クレイはセールスの才能にも長けており、300ドル分のブラックベリーを瞬く間に売ることが出来た。これは農家のオーナーが半年かけても手にすることの出来ない金額であった。
このようにしてクレイは大恐慌を運良く乗り切ることが出来た。もといたボタン会社も経営状態が良くないので、ペギーにデブンポートへ行こうと提案したら、快く彼女も承諾してくれたので二人でデブンポート移り住むことにした。
デブンポートでは、隣町のイーストモーリンのジョンディアー社に雇って欲しいと願い出たが、なかなか雇ってもらうことが出来なかった。
しかしクレイはあきらめずに毎日ジョンディアー社へ通い、ようやくジョンディアー社の持っているオーケストラ楽団の一員として採用されることになった。
この楽団はクレイに時給30セントを払ってくれたので、週に9ドルの稼ぎになった。
しばらくするとジョディアーは、クレイにメカニックの知識があることを知り、クレイをエンジニアとして研究部門に配属してくれた。
またクレイは、この部門で働きながらエンジニアの学位を取るために通信教育の学校に入学した。クレイの給料は今までより上がったが、同じ部門で働く油圧クラッチを発明したアールスタットの勧めで、2人でキースバーグに会社を興した。
しかしその会社も2〜3年でだめになり、再度イーストモーリンのジョンディアー社の下で働くことになった。











